家が消えた更新日:2021年6月13日 また、1軒住家が取り壊された。近年になり2軒目である。そのほかに無住となった家は5軒に及ぶ。栄枯盛衰は世の常、しかし寂しいものである。 元文5年(1740年)の荒戸河沢村絵図には消えた家は描かれておらず、明治5年(1871年)の荒戸河沢村絵図に描かれているのでこの間に分家して成立した家と思われる。下の左の写真の赤い屋根の家が消えた家である。少なくとも150年の歴史のある家が消えてしまった。 絵図は、このホームページの河沢の歴史を見てください。
また、1軒住家が取り壊された。近年になり2軒目である。そのほかに無住となった家は5軒に及ぶ。栄枯盛衰は世の常、しかし寂しいものである。 元文5年(1740年)の荒戸河沢村絵図には消えた家は描かれておらず、明治5年(1871年)の荒戸河沢村絵図に描かれているのでこの間に分家して成立した家と思われる。下の左の写真の赤い屋根の家が消えた家である。少なくとも150年の歴史のある家が消えてしまった。 絵図は、このホームページの河沢の歴史を見てください。
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