秋集会
November 25, 2017
河沢町内会では、年2回総会を開いている。春3月の総会は、予算、決算の審議。秋11月は町内会費の賦課方法について審議する。
町内会の総会は、国会のように荒れることなく、しゃんしゃん総会である。
勿論終わった後は、飲みにケーションで意見交換に花が咲く。
河沢の春祭り
April 19, 2017
4月20日は河沢の春祭り。昔は、春祭りが終わると田畑にでる合図であっただろうと思われます。男しょが出稼ぎから帰り、すじまきをしたか、田打ちを始めたか、何れかの合図の行事であったと思います。昭和の時代の河沢集落の議事録をまとめていますので少しは春祭りの意味合いについてはわかると思います。
私が河沢の住民になって30数年、4月20日が春祭りの日として定着しています。今は、壮年層は100%勤め人、春祭りを休日にしてほしいという要望が前からでています。何れ20日前後の休日に変更せざるを得ないこととなると思います。農作業の合図と言えば、妙高山の「はね馬」が、ここ上越地方では有名です。しかし、河沢からは「はね馬」は見ることができません、河沢から見える米山さんに、柿崎の方からなにか合図の印がでるという話を聞いたような気がしますが不確かです。
春の観音様祭り
April 16, 2017
4月17日は観音様祭りである。年3回(4月17日、8月10日、8月17日)に限り御開帳である。昔は地元河沢の唯念寺の住職からお経(観音経であるか不明)を上げてもらったというが、今は住民がお参りするだけである。
春検分
April 06, 2017
4月1日は河沢の春検分。
検分とは、非常災害時を除き、一年前の春検分後の農道、用排水路、農地の不都合の有無を立ち合って調べることである。
当日は曇天であったが寒く、鼻水を咬みながら見てまわった。ポケットからチリ紙をとる時に車のキーを落としてしまった。そして、検分の後に新旧役員の引継会、慰労会と続いた。翌朝探したが見つからず。
万雑取立 ?
March 25, 2017
今日は万雑取立日、つまり町内会費の納入日である。会費は、かかった経費を精算する日である。昔の盆暮れ勘定と同様であろうか。しかし、昔とは異なり、予算書をつくり一応予算主義に基づき執行している。
66ジイジは会計担当をしている。予算内で執行を心掛けているが、余りにも弱小町内会、高齢化が進んでいる町内会、余裕がない。
取立が終わった後、市保健師の健康講座、春総会と一日が過ぎた。
万雑割
March 04, 2017
万雑割とは1年間の集落活動等にかかった経費(人件費、会議費、集会所管理経費など)を住民で負担するもので、いわゆる自治会費のことです。29戸の小さな集落であり1戸2万円強の負担となります。一般の自治会費と比較すると高いかもしれません。
平成21年度から会計を担当し8回目の決算を終えたところでありますが、エクセルで管理しているため決算自体は特に難しいことではないのですが、29年度から町内会会計と農家組合会計を統合することになり、書類やマクロの修正に3日ほどかかってしまいました。漸く完成しました。
現役時代、都市部の自治会役員をしている人と一緒になり、役員報酬についてはボランティアであると聞いたことがあります。河沢も昔から比べると手当も少なくしてきましたが費用の約3割が人件費です。年金生活の高齢者が多くなっている状況から集落の活動等再考が必要ですね。
塞の神
January 13, 2017
1988年(昭和63年)に復活した塞の神も今年で30回目となる。以前は大人用と子供用の大小二つの塞の神を作っていたが、子供が少なくなった今は1個にしている。
賀詞交換会
ほとんどの町内会では賀詞交換会を実施していると思います。河沢町内会でも毎年元日の10時から河沢集落センターで実施しています。
冒頭に町内会長の時局等に関する挨拶があり、その後約1時間ほどお神酒をいただいて解散することになりますが、そのルーツは1940年(昭和15年)まで遡ることができました。当時は日中戦争(支那事変)の最中です。当時の区長の訓示の記録が残ってしましたので紹介します。残念ながら昭和18年以降は訓示内容までは書かれていません。
1940年(昭和15年)1月1日午前9時奉祝
神社ニテ一斉ニ宮城ヲ遥拝シ次ニ黙祷 後万歳ヲ奉唱ス
光輝アル紀元二千六百年ノ元旦。我等国民ハ悠久ナ国■ノアトヲ偲ビ 二千六百年ノ愛粛ナ意義ヲ體得シ奉祝、誠ヲ捧ゲルト共ニ 国民生活綱要ヲ一層励行シテ 直ニ戦時下ノ国民トシテ模範生活ヲ送ラネバナラヌ。
元日ヤ 一系天子富士ノ山
一日一日重ねネテ一歩一歩進ム。実ニ一ノ大切ナルコトヲ。
1941年(昭和16年)1月1日
二六〇一年ノ年頭ノ新ナル心境ヲ以テ時局ニ対シ 一億一心国家の總力ヲ発揮シテ 皇運扶翼ニ遺憾ナキヲ期シ 新體制下ニ於ケル第一年ノ正月
銃後農村ノ吾々ハ戰時下 食糧ノ増産確保ノ大使命ニ努力シテ 実践ノ日常化 家庭生活ノ刷新ノ意氣ヲ以テ心構ヘスベキナリト思フ
大字一同社前ニ拝礼シ 謹ミテ聖壽ノ萬歳ヲ祝シ 皇室ノ御繁栄ヲ祈リ奉ル
1942年(昭和17年)1月1日
昨年十二月八日米英ニ対シ宣戦布告詔書発布セラレ ソノ役各地ニ連戦連勝ノ輝ケル元旦ヲ迎ヘ聖壽ノ萬歳ヲ大唱シ 大東亜共榮圏確率ノ聖戦必勝ヲ祈リ 国民ノ進ム可キ道ヲ共調シ 十時ニ解散ス