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67ジイジ

炭屋堰

 柿崎区の用水を考える会の炭屋堰見学会に参加してきた。

 江戸時代からそのままの簡易な堰にびっくり。堰のある平沢地区と用水を利用する下流の川田・阿弥陀瀬・荻谷地区の350年を超える確執。平沢地区にとって飲料水や用水として利用したくとも分水量は決められているため争いが絶えなかったようだ。争いの内容については古文書も説明。江戸の町奉行所まで持ち込まれたようである。「手鎖申しつけ候」とのこと。

 廃寺となった御戸寺(おとじ)、平沢地区出土の縄文土器や石器、古民具も見学してきた。

最盛期平沢地区には36戸の住家があったが、現在は無住。春から秋に数人が通勤耕作しているのが現状である。

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