賽の神
今日は河沢の賽の神。河沢のある東田中地区6集落での賽の神は河沢のみとか、寂しい限りである。そして、吉川区では三分の一しか実施しなくなったと言う。次第に伝統行事が消えてなくなっている。
68ジイジは今、東田中地域の伝説・民話をまとめているが、伝説・民話は消えつつある。伝説・民話は何になるのか、役立つのかという意見があると思う。昔、囲炉裏端で夜なべ仕事をしながら、おじいさん・おばあさんから昔話を聞く子ども達。お父さんは出稼ぎで不在、お母さんは夕食の後片付け。こんな生活が一般的であったのではないだろうか。そんな中で、子供たちは世の中のしきたり、生き方などを学んだのではないだろうか。
国田集落に「焼町」という言い伝えがかろうじて残っていた。「焼町」については、本当だろうかと思っていたら、ある人曰く「旅籠を含めて4・5軒の峠付近の集落が戦国時代に戦で焼かれたようだとの言い伝えがある」との言葉。半信半疑で創作民話を書いていたところ、埋蔵文化財一覧に浦川原区大栃山字焼町に「焼町」包含地(鎌倉~室町時代の遺跡)があることがわかった。そして明治18年の東頸城郡実測図に「ヤケ町山」の表示があった。
600~700年の時代を超えて歴史が甦ることの不思議さ。「焼町」は、事実だったろうと思いながら、賽の神の行事がなくなる寂しさを感じている。