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天林寺城祉

 今年初めて天林寺城祉を訪れた。当初、河沢➡入河沢城址➡天林寺城祉➡天林寺➡河沢と徒歩で踏破しようと思ったが、目的は天林寺城祉の虎口を見つけるためであったので時間のかかるこの計画は止めた。入河沢集落センターから市道を使い天林寺城祉に登った。

 天林寺城が機能していた時の虎口はどうであったのだろうか。兵の住まいはどこであったのだろうか。住まいは現在の天林寺集落であったのだろうか。天林寺城祉から尾根伝いに牛山溜池まで降りてみたが、天林寺集落が天林寺城の兵の住まいであったとは考えにくく何もわからないと考える。

 天林寺城は、府中➡柿崎➡天林寺・土尻➡米山➡山中➡尾神➡川谷➡桜坂峠➡中郡(現在の柏崎への山道)・関東方面の松之山街道の一つであった街道の監視する山城であったと考える。そして天林寺城祉の近くに角合寺・覚合寺(かんごうじ)と呼ばれる地名が残っていることからすると、その辺りに住居があったのかも知れない。何れにしても謎だらけの天林寺城である。

 見つけた花は、ユキノシタ、カタクリ、コブシ。山は尾神岳、米山、妙高山、火打山、焼山。

今年初めて天林寺城祉を訪れた。当初、河沢➡入河沢城址➡天林寺城祉➡天林寺➡河沢と徒歩で踏破しようと思ったが、目的は天林寺城祉の虎口を見つけるためであったのでこの計画は止めた。入河沢集落センターから市道を使い天林寺城祉に登った。  天林寺城が機能していた時の虎口はどうであったのだろうか。農兵の住まいはどこであったのだろうか。現在の天林寺集落であったのだろうか。今日の踏破では虎口を見つけることができなかった。天林寺城は、府中➡柿崎➡天林寺・土尻➡米山➡山中➡尾神➡川谷➡桜坂峠➡中郡(現在の柏崎への山道)・関東方面の松之山街道の一つであった街道の監視する山城であったと考えると、角合寺・覚合寺(かんごうじ)辺りに住居があったのかも知れない。何れにしても謎だらけの天林寺城である。
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